新旧外典祭り!
みなさま、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。
さて。
預言書の理解に重点を置いて進めてきた今年の聖書通読も、はや旧約が終わりました。
自分的には、ぐぐっと預言書と旧約全体の理解が進んだように感じています。
・・なのですが。
次に来たのが「旧約聖書外典」。今までの人生で全く親しんでこなかったこともあり、
ここでぐっとつまってしまいました。
そもそも。
・・外典とは何か。
宗教の聖典なので、誰かがどこかで書いて、そして誰かがこれとこれが聖典だと決め、
内容に制約をかけ固定化し、無際限の拡大や無秩序になることを防ぎます。
またその過程で内容が矛盾の少ないものになり、めでたく安定したものになります。
聖典の成立には、概ね多かれ少なかれこんなプロセスを経るのかなと思います。
旧約聖書の場合、まず、元祖であるユダヤ教徒が聖典を決めたらしく、それがどうも
現在の外典なしの形のようです。プロテスタントが採用しているのがこの枠組み。
カトリックと東方教会が採用しているのが、いわゆる外典ありの聖書だそうです。
「外典」とはいっても、なんだか予想していたより重みがありそうです。
外典のタイトルはこちら(新共同訳から)。
- ユディト記
- 知恵の書
- トビト記
- シラ
- バルク書
- エレミヤの手紙
- マカバイ記1
- マカバイ記2 書簡
- エステル記(ギリシャ語)
- ダニエル書補遺 スザンナ
- ダニエル書補遺 ベルと竜
- ダニエル書補遺 アザルヤの祈りと三人の若者の賛歌
- エズラ書(ギリシャ語)
- エズラ書(ラテン語)
- マナセの祈り
バージョンによっては、もう少しあるようです。
今、シラですが、まあ箴言です。
ここまでの率直な印象は、全体に創作系の知恵文学(ケトビーム)という感じ?です。
で。
問題は新約の外典です。
こちらはキリスト教が元祖なので、自分たちで選ばなくてはなりません。
その、どれがOK、どれがダメ、の議論は、古代教会の時代から延々とあったようで、
最終的に答えが固まったのがなんとAD1000年〜1700年くらいだそうです。
しかしながら、文書そのものはキリスト教初期の古い時代のものなので、
かなり生々しい内容をいくつも読めるようなのです。
まだ読んではいませんが、、例えば、教義上の迷いや動的な揺らいだ姿など(でしょうか?)
一介の信徒にとって、これらは問題でもあり、次への可能性でもありえます。
問題の方は、信徒が考古学・古文書学に振り回され、信仰の基準を見失うこと。
可能性の方は、結論を受け取るだけの固定化していた活動が、劇的に変わるかもしれないこと。
今までとはケタ違いの、著しい視野の拡大が望めるかもしれません。
タイトルは、こんな感じのようです(Wikipediaから)。
- パウロ行伝
- ペトロ行伝
- パウロ・テクラ行伝
- ペトロの黙示録
- パウロの黙示録
- ディダケー(十二使徒の教え)
- バルナバの手紙(バルナバ書)
- クレメントのコリントの信徒への手紙
- イエス・キリストとエデッサ王アブガルスの手紙
- 使徒パウロのラオディキアの信徒とセネカへの手紙
- イグナティオスとポリカルポスの手紙
- エジプト人による福音
- ユダヤ人による福音
- ユダによる福音書
- ニコデモによる福音書 (ピラト行伝)
- ペトロによる福音書(ペテロ福音書)
- 救い主による福音
- ヤコブによる原福音 (ヤコブ原福音)
- トマスによるイエスの幼時物語
- トマスによる福音書
- マタイによるイエスの幼時福音
- マルコによるイエスの幼時福音
- アラビア語によるイエスの幼時福音
- マリアによる福音書(マグダラのマリア福音書)
- フィリポによる福音書
- ヘルマスの牧者
- イエス・キリストの叡智
- シビュラの託宣
結構、たくさんあります。
まあ、何はともあれ、ゆっくり地道にやって行きます。
もしもよかったら、皆様もいかがですか?
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関連文書(文庫本、アマゾンのページ)
(つづく)