SNSのいまむかし(思い出話)

みなさん、ご存知でしょうか。
むかしはブログとかなくて、情報発信すると言えば、
ホームページの更新か、またはメールマガジンだったのです。

 

 

そんなメルマガ全盛時代に愛読していたものの中に、
「アメリカでサイエンス」というのがありました。

 

これは、ミ○キさんという地方国立の獣医大を出た平凡な女性が、
科学研究の本場アメリカの大学院へ飛び込んで、
何を思ったか、ホームラン狙いぞろいの神経科学の世界へ挑んでいく様を
記録していくというリアルタイム一大冒険活劇でした。

 

今は知りませんが、当時は、米国の博士課程といえば、厳しい教育で有名で。
4人に1人が途中で心身を壊し、修士号だけもらって帰国させられるという厳しさで。
日本と異なり豊富な奨学金だけでやっていけるという好待遇の代わりに、
文字通り生きるか死ぬかの競争を強いられる、戦場みたいなところでした。

 

そんな中を、平凡な女子が等身大の全力で努力し、
筆記試験中に震えて泣いたり、その後、悪夢にうなされ続けたり、
かわいらしさや計算されたしおらしさを利用したりしながら、
たくましくも勇敢に生きていた様子が、とても眩しかったものでした。

 

その後、おそらく同一人物と思われるお方の情報を入手、
気は進まないまま同じ大学に辿り着くことになるのは、また別の話。

 

 

お次は、メルマガと双璧を成していたお手製ホームページのエピソード。
こちらは、み○ばにさんというモスクワの大学へ留学された女性のHP「モスクワ留学日記」
そのころ、ロシアへの留学を検討していたこともあって、何度もむさぼるよう読み返しました。

 

留学前の準備(ロシア語の専門学校に在籍)から、渡航、いきなりの医療的監禁、解放され入学。
その後も、寮ではシャワールームでトイレ(大)をするやつはいるわ、街ではネオナチに遭遇するわ・・・・。

 

底抜けに明るい筆致で綴られる、ほんまもんのサバイバル生活に、
うらやましいほど憧れたものでした。

 

 

結局、今に至るまでロシアには一度も行くことはありませんでしたが、
その後、みほばにさんとはほんの少しの間ミクシィでメッセージを交わす機会を頂きました。

 

たったそれだけですが、本当に光栄でした。

 

 

・・どうしてでしょうか。

 

海自で海将たちに会っても、指導してやらなきゃならないダメな手下たちくらいにしか思えなかったのにな。

 

身の丈以上の困難に正面から挑んでいる人が眩しいのは、多分、誰にとっても同じではないでしょうか。
いつでも比率が大切なんだな。きっと。

 

 

(おしまい)